3月21日、TOHOシネマズ日本橋にて「東京アニメアワードフェスティバル2014」が開催され、新作アニメ『Gのレコンギスタ』発表をしたばかりの富野由悠季監督がトークセッションを行った。

ゲストにフランスのアニメビジネスのパイオニア、セドリック・リタルディ氏と人型二足歩行ロボットの開発に携わったシャフト社を立ち上げ、経営に関わった実業家・246キャピタル株式会社の加藤崇氏を招いて、『アニメの未来』について語る……のだが、富野監督は開口一番、「アニメーションの未来についてですが、未来なんてねえよ!」といきなりデッドボール級の一言を投げてきた。ただし条件が付きますが、となけなしのフォローを入れるも……

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なぜ、アニメに未来はないというのか、富野監督はこう語る。

富野監督:専門学校なんかができて、アニメの専門職というものが確立しましたが、専門家が集まると視野狭窄が起こる。50年、40年前のアニメスタジオにはアニメのことなんか何もわからずいろんなところから集まってきた連中ばかりがいて、彼らはそれぞれアニメ以外の分野の「リアリティ」を持っていた。それを持たない、アニメ好きがアニメに特化した専門職になってアニメを作ったら、自由な作品なんてできるわけがねえだろ!

富野監督:ましてやYou Tubeのようなものができて、アニメの個人製作が可能となれば、ますます個人の妄想を作品化する傾向もでてくる。それは作品ではなく個人の日記みたいなもので、そういったものにアニメの未来があるかと言われれば、あるわけがない。ディズニー的なものなら未来はあるのか? ディズニー的なものに汚染された人たちは「アニメとはディズニーみたいなものだ」と考えて同じものを作り続ける。これも未来なんてあるわけないだろ? 先なんかないんです。

本当に未来などないのだろうか?

富野監督:突破する方法はひとつある。俺たちは無理だってことを認めて、お前らやってくれって子や孫に投げ与えていくっていう方法をきちんととること。それを今一番、現場にいる人間が考えなくてはならないが、こういう問題意識を持っているスタッフはほとんどいません。

そして富野監督は「僕は才能がない人間だから、作品歴を見ての通り、コンスタントに作品を作れないわけです」と語る。確かに、空白の時期がいくつもある。さらに、「何人かの才能のある人間がコンスタントに作り続けたが、作品はどれも同じ(ぐらい優れた)ものが作れたとは思えない。そういう事実を見極めていくべき」だという。確かに、1人のクリエーターがずっと良質なアニメを作り続けた、という事実はないといっていい。それはなぜか? どのような問題があるのか? その問題の存在を認めて、後進のために明文化して残す……それにより次の世代が問題を解決して、新しいものを作ってくれるんじゃないかと、富野監督は「アニメの未来」を考えていた。

(全文及び詳細は情報元にて)